大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和28年(あ)4724号 判決 1956年2月10日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人大橋茹の上告趣意第一点について。

所論は憲法違反を主張するけれども、その実質は訴訟法違反の主張に過ぎず、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

記録を見ると原審に所論の判断遺脱のあることは所論のとおりであるが、右判断遺脱のあった控訴趣意点は、島田弁護人の控訴趣意第一点乃至第三点に対する原審の判断中(原判決の一)に「……原判決(第一審判決)の対象事実を証拠に照らして掌握……」した認定事実として「……何等の暴行にも出ていない同人(田中)に対し……」と判示し、その判断を示しているところであるから、右判断遺脱の違法は到底刑訴四一一条を適用すべき事由とはならない。

同第二点について。

所論は事実誤認または単なる法令違反の主張であって適法な上告理由に当らない。

のみならず、田圃の現場から田中の自宅に到るまでの間における被告人の所為についても、起訴事実に該当する本件審判に付する決定事実中に包含されていることは、同決定書中『……昭和二十七年六月三十日午後三時頃、右田中が所持している麦束を証拠品として任意提出させる目的で大安寺村巡査駐在所勤務の西沢静巡査と共に右島山梨子部落に赴き、同部落の東北方に当る通称下河原にある右田中所有の田前農道で、前記麦束の任意提出を求めるため同人に対し「盗んだ麦を出せ」と申向けたところ、同人より「盗んだ麦はない、それなら令状を見せて貰いたい」と拒絶されたのに立腹し、何等の抵抗がないのにもかかわらず「生意気なことを云いさらす」と叫び、やにわに、右足で同人の左膝を蹴りつけて同人を仰向けに倒し、更に西沢巡査が同人の胸ぐらをつかんで農道上を引ずった際、「昔校長をしたと思って生意気なことをいう、令状がなくても逮捕できる、これから警察に行くんだ」といい乍ら、その必要もないのに、倒れている同人の腕の辺を持ち、西沢巡査に脚部をもたせ、同人の身体を持ち上げて四米程運び、更に右農道から前記の同人宅まで同行する間(徒歩で約五分の距離)、附近に聞えるような大声で「垣内の麦を盗んだのはお前だ」、「くそ隠居」、「貴様のような者はやくざ校長だ」、「泥棒だ泥棒だ」と暴言をはき、ついで同人宅で同人を……』との記載に照して明白である。また被告人が田中を緊急逮捕しようと意を決した時期に関し、第一審は田中の自宅に着いて後決意したものと認定判示しているのに対し、原審は右以前である、田圃農道において田中が麦束の任意提出を拒んだ時に決意した如く判示していることは所論のとおりであるが、本件審判に付する決定事実中、前示のとおり田圃より田中の自宅に到るまでの被告人の所為をも包含されているものである以上、被告人の所為が、麦束の任意提出を求める職務執行について行われたか、はたまた緊急逮捕の職務執行について行われたか、言い換えれば緊急逮捕の決意がいつどこでなされたかの判断は、それが証拠に即する限り、原審は一審の判断に拘束されることなく、原審独自の判断権の範囲内に属することは当然であって、従って所論緊急逮捕決意の時期に関し所論原審の判示が一審の判示と差異があるということだけでは、これを目して違法ありということはできない。それ故所論はその実質においても採ることができず、原判決には何等所論の違法はないのである。

同第三点について。

所論は原審の証拠の取捨判断を攻撃し、延いて事実誤認を主張するものであって適法な上告理由に当らない。

弁護人島田武夫の上告趣意第一点及び第二点について。

所論は判例違反を主張するけれども、原判決は却って所論引用大審院の各判例の趣旨に副いこそすれ、それに反する判断を示しているものとは到底解せられない。また引用の当裁判所の判例は本件には不適切のものであるから論旨は採用することができない。

同第三点について。

所論は憲法三一条違反を主張するけれども、その実質は法令違反の主張に帰着し適法な上告理由に当らない。そして所論判断遺脱の違法のないことは原判示に照して明らかである(なお本点については、大橋弁護人論旨第二点に対する説明参照)。

同第四点について。

所論は判例違反と違憲をいうけれども、原審で主張判断のない事項であるから上告適法の理由とならない。

なお記録を調査するも、本件に刑訴四一一条を適用すべき事由を認め難い。

よって刑訴四〇八条に従い、主文のとおり判決する。

この判決は、島田弁護人の上告趣意第四点に関し裁判官池田克の補足意見があるほか裁判官全員一致の意見によるものである。

島田弁護人の上告趣意第四点に関する裁判官池田克の補足意見は次のとおりである。

本件のように、裁判上の準起訴手続により訴訟係属を生じた事件においては、検察官は公訴の維持にあたるべきものではなく、公訴の維持にあたる者として裁判所から指定を受けた弁護士が裁判の確定に至るまで検察官の職務を行うべきものであって、公判廷にその出席を要することは、刑訴二六八条、同二八二条二項の解釈上疑いを容れないところである。そしてその出席を要することは、当該公判廷が審理のためであると判決言渡のためであるとにかかわらないと考える。但し、公判廷を開くにあたり検察官の職務を行う弁護士の出席が必要とされるのは、検察官のそれと同じく判決裁判所の構成員としてではなく、当事者主義の建前上、公判開廷の手続上の条件をなすに因るものと解すべきであるから、検察官の職務を行う弁護士の不出席のまま、出席すべからざる検察官立会のもとに公判廷が開かれたときは、公判開廷の手続上の違反ではあるが、判決裁判所の構成には影響がないのであるから、刑訴三七七条一号の定める絶対的上訴理由たる「法律に従って判決裁判所を構成しなかった」場合にはあたらないものといわなければならない。

ところで、本件において第一審第四回公判調書によると、検察官の職務を行う弁護士伊部栄治が同公判廷に出席した旨の記載がなく、却って検察官神野栄一が出席した旨の記載があるのであって、すなわち、第一審第四回公判手続には、検察官の職務を行う弁護士が出席しなかったばかりでなく、本来出席すべきでない検察官が出席したという二重の違法を存すること、まことに所論のとおりである。しかし、これらの違法は、前示の如くいずれも単なる訴訟手続法上の違反に過ぎず、且つ記録に徴しても明らかなとおり、右第一審第四回公判が事件の審理のために開かれたものでなく、すでに結審して判決言渡のみのために開かれたものであることを併せて考えてみると、判決には影響を及ぼさないものと認めるのを相当とする。論旨援用の判例は、刑訴二八二条二項と趣旨を異にする旧刑訴三二九条に関するものであって、本件に適切でない。所論違憲の主張は、憲法に名を藉りるものに過ぎない。

(裁判長裁判官 栗山茂 裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 池田克)

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